
ナリタはビジネス(副業)の勉強を初めて大きく変わったことがあります。
それは小さいころから悩んでいた事でした。
言語化できない悩みなので結構厄介でした。
ビジネスとは関係ない事かもしれませんが
長年の身内に対するモヤモヤが晴れた感覚になったので紹介したいと思います。
あなたは家族や身内に対してこんな印象を抱いたことはありませんか?ちょっと抽象的な話なのであなたの身内にされて嫌だったことを思い出してみてください。もちろんこのまま読み進めてくださっても大丈夫です
・生活や人格の細かいところまで口出ししてくる
・「家族とはこういうもの」みたいな自分が納得できない見えないルールがある
・こちらが聞きたくない事まで話される(ex.母:あなたにだけ言うけど・・と始まる超個人的な闇な話)
・聞かれたくない事を根掘り葉掘り詮索してくる
・勝手に部屋に入ってくる
・勝手に人の物を使う
このような場合、どれだけ身近な存在だとしても「相手に敬意を払いつつも距離を置く」ことでストレスが減ります。
相手から自分に対する敬意を感じなくてもこっちから進んで毅然と敬意を払います。そしてそれを徹底します。
どういうこと?
って感じですが、「社会の中で生活しているというスタンス」を家の中でも貫く感じです。
抽象的すぎるだろ!!
と、自分でも書いてて思うので強く興味がある場合、具体的にどうすればいいか知りたい場合は
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それを視聴した上で、ここでは細かい手段の話は抜いて、ナリタの言語化できなかったモヤモヤ感について書いていきます。
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ナリタなここで書いていることも、そこからの気づきの要素も含まれます。
上記のボックスの記載の内容が「身内とみなされることによる配慮の無さによるあなたへの態度」という感じだった場合、その身内の人はある意味あなたに甘えているので他人(としている人)にはしない行為です。
自分から毅然と精神的な距離を置くことでも、向こうも自然と距離を調整し、安定してきます。向こうも無意識にこちらの様子を伺ってそうしてきている可能性があるので。
ナリタの場合、大体こういう時、「良かれと思って」とか、「あなたの為を思って」みたいな単語が身内から飛んできますが、全然良くなかったので現在は「良かれと思ってくれた事」「自分の事を大切に思ってくれている事」だけに感謝の気持ちを伝え、あとは毅然と敬意を払いながら距離を置いて接しています。
※こんな事を書いていますがナリタも家族の事を大切に考えています。
それでもだめなら物理的に離れて暮らすのが一番です。
ナリタはきっと結婚後も親が近くに住んでいて子離れできずに色々と干渉されていたら
今の自分は無かっただろうと感じています。ナリタの親は過保護です(特に母親)。
当時は気が付いていませんでしたが身内に対して結構な負のエネルギーを使っていました。
お互いにプラスになっているとは今となっては思えないし
それじゃ到底副業に対してエネルギーは使えなかったと思います。
ナリタは結婚してからは両親と物理的に住んでいる距離が離れています。実家に住んでいる時と比べて自分も自立し、気が楽になりました。(まあナリタもいい大人ですが・・wもっと若い頃で実家にいる時は親に構われると窮屈に感じつつもそれに甘んじてしまっていました)
ビジネスを学び始めてから(内容は経営、コピーライティング、心理分析、自己啓発等幅広いのではっとなることがたくさんありました)
旦那とも精神的に距離を置き、敬意を払うことで精神が安定しました。ちなみに旦那は元からそういう距離感のある人でした。ナリタが結構両親の影響を受けていて、取るべき距離感が定まっておらず勝手に苦しんでいた感じです。
以下、ナリタの主観になります。長くて重い内容なのでお気をつけくださいw。
Contents
近すぎる精神的な距離?
あなたが上記の似たような印象の事などで、少しでも不快に思った場合は
相手(身内、家族)が自分の望んでいない距離感で接してきている可能性があります。
お恥ずかしながら超~~~くだらない例ですがナリタの実家の超あるあるの話だと
ナリタの父親ver.
ナリタが社会人になって暫くしたの頃の話です。
父:「ムシャムシャ」⇒何かを食べた後「微妙にためらい残し」みたいになっていて(明らかに素手で扱ったような形跡で汚い)半開封状態で残されてある。例えば板チョコが手で板の境目関係なくちぎられてそのまま置いてあるような感じです。他人の物で無断でその扱い、絶対ありえません。
ナリタ:「あっナリタのお菓子(食欲のない時に食べる非常食)・・(悲)」(実家暮らしの時の自分の給料で買った食糧。社会人生活が激務だったので食欲が無い日も多々ありストックしている。お金は別に生活費と当時の実家のマンションのローンの一部も納めている。)
父:「ええやんけこれくらい!怒声(逆ギレ)」⇐身近な家族に対してだけガラの悪い言葉を使う(大阪の)
自分の物を勝手に食べられてそれに対して尋ねたら激しく逆ギレされていましたw。
ナリタの「オブラートに包みつつも人の物は勝手に盗んではいけない(あえて直球)」という正論への図星かもしれません。感情的にキレる真意が分からないので推測ですが。
そんなことが多発するのは予想済なので普段ちょっとしたおみやげも別でよく買ってきていて「みんなの分はこれだよ。良かったら食べて」としていました。
父親は「食べる」ことに執着があるのは確かです。
激しく味音痴ですが食欲が抑えられなく、冷蔵庫や食糧庫の中を隅から隅まで把握しているような人です。
ナリタのお土産も(食べ物は)瞬殺で無くなります。
しかし他人の前ではそんな素振りは1ミリも出しません。そんな人の前に食べ物を置かなきゃ良いという話はここでは置いておきます。ナリタも最終的には自分の部屋で大事な食糧は保管していました。
そして食べたからと言って買い足しておくということも皆無です。
幼少期にはナリタ所有のゲームボーイ(レトロw)を父親に奪われ(⇐自分が遊ぶために)ナリタも遊びたいので返してもらおうと訴えたら怒鳴られるということもありました。非常にくだらないですが当時の事は結構ショックで鮮明に覚えていますw
それを見た母:「お父さんも仕事で大変だから・・」
これ、ナリタの実家での定番のセリフですが違和感しかありませんでした。
「自分で選んだ仕事のストレスを身内にぶちまけて良いのか?」と。
そのゲームボーイ事件がナリタの実家のエピソード化し、(大の大人が子供と本気で喧嘩するという面白エピソードのつもり)母親が自分の知り合いにそれを話題にした、そこからのコメント、
「育ててもらってるんだからねえ」や「親なんだから云々」といった「誰のおかげで飯が食えてる」的な正論みたいなのを何故か第3者から直接言われ、
「父親の対応にショックを受けてはならない。こんなの当たり前だ。」
「そういう風に感じる自分が悪いのでは?」
と、父親に対して嫌な気持ちがありつつも自分の持つ感情に対して少し悶々とした疑問も抱いていました。
父親のヒステリックな怒声は未だに平常心を奪われます。父親なりの愛情も感じているので父親に対してはとても複雑な感情でいっぱいです。
単なる我儘で怒鳴り散らすその行為は
「家族だからこれくらいしてもいいだろ」
という「身内ならではの無遠慮さ」が引き起こす行動だと思います。
更に深堀すると
「育ててやったんだからこれくらいしても良い」?的な感じなんですかね。。理解できないので推測です
自分が実際親になったので、親の立場に置き換えて考えても
子供が自分のお金で買った物を勝手に自分のモノにする(許可なく使う)こと等は
立場が変わってもちょっと理解できません。
ナリタの母親ver.
ナリタ:「ちょっと出かけてくる。ごはんは食べてくるよー。」(当時実家暮らしだったけどもういい大人)
母:「何しに!?どこに?誰と?何時に帰ってくるの?」
ナリタ:「高校の友達と会うんだよ」
母:「○○ちゃん!?それとも▽▽ちゃん!?どこで会うの!?何食べに行くの?」別に決めてない
と、しつこく聞いてきます。ちなみにこれは子供の頃から詳細に言わされてました。「一人娘だから心配なんだな」と察し、それでも凄く嫌でしたが聞かれたらちゃんと答えていました。ちなみに父親はこれに関しては無関心。そういうとこが楽でした。
しかし、もういい年の大人です。
10代の頃は夜遊びするときは完璧に近い嘘を友達とタッグを組んで作り上げていましたが
終電を逃してタクシーで帰宅するとふらふらになった眠気を我慢した母親がドヨ~ンと薄暗いリビングに居たりしました。
いつも何とも言えない母親から感じる束縛感と父親の異常な我儘が実家にはありました。
心配はかけまいと気を付けてはいましたが正直息苦しかったです。
出来事の例の一部は別記事でも語っています。
後は、親戚の伯母(5~8歳まで日中は面倒を見てもらっていた)が、間接的にナリタの現状について聞き(親戚の居ない地で家事育児労働etc)
「可哀想や」といって泣いていた、と、
母親から聞きました。
とりあえず、相槌を打ってましたw。そんな報告されても困るし、別に可哀想だとか自分では思ってない。
身内、親戚関係にはどうこう言っても伝わらないので(何度も挑戦済み)たまに会うとひたすら聞き手に徹しています。
それで相手も満足している様子です。
悲しいかな、自分が結婚した時・・
「自分は特別な存在だから何でも話すよね」
「部屋にも勝手に入っていいよね」怖いので見られたくないメモなどは鍵付きの机の中に入れてました。ちなみに産休中に母親がナリタのヘルプに来ていた時もおもむろにテーブルに置いていたナリタの手帳を開いて見ているのをたまたま目にして軽く戦慄が走りました。
「隠し事なんか無いよね、もちろん」みたいなスタンスの
「距離を置いて見守る」ということは一切ない感じの
そういう母親の(無意識な?)対応は散々されて嫌だったことなのに
結婚したらいつの間にか自分も旦那にも似たようなことをしていました。旦那に出かけると伝えられた2言目には誰と?どこ行くんだ?何時に帰ってくるんだ?etc
何かそういう言葉を自分で発していながらも理由の分からない自己嫌悪に陥ることが多々ありました。ロクでもない
自分の育ってきた環境、そこにいる家族しか具体的に見ておらず
その環境に居心地の悪さも感覚的に感じていたにも関わらず
「家族ってそういうもの」と、どこかで思っていました。
後に、その考え方が自分で自分の首を絞めていると何年も経ってから気が付きました。
こういうのって無理やり聞き出すのではなく、話題にした時に自然と相手の口から言い出せるような環境を作ることが大切だと感じます。家族なら尚更。ただでさえパーソナルな距離が近いので・・。
絶対的な孤独
ナリタ個人の感覚かもしれませんが
誰しも「孤独感」というものを抱えていて
普段はみんなそれを直視できずに
無意識にそれを紛らわす為に友達とつるんだり
ママ友たちが群れていたり
家族に自覚なく精神的に我儘をしたりしてもたれかかったり
「親だから」という大義名分で頭から自分の意見をデッドボールかってくらいの速さで投げつけ、子供の話を全否定したり
自分が好意を抱いている人を(恋愛以外でも人間的にも)対象に
束縛したり等で依存したりするのではないかと、
考えていました。
主観的には大体当たっていると感じています。まだまだこれも勉強中
ナリタはいつも心に刻んでいる事があるのですが
みんな「一人で生まれてきて」「一人で死ぬ」僧侶かよって感じなのは置いといてくださいw
当たり前ですが何気ない日常の中にいると忘れがちです。
ただビジネスの勉強中にふと考えさせられることが多々あり、結果的に
「家族でも自分以外は全て他人」と、
意識するようになりました。
そうすることで、身内との付き合いが少し楽になりました。
最初に書いた「相手に敬意を持って距離を置く」というスタンスを貫くことでです。
しかしこの「孤独感」はきっと生きている限り無くなりません。
いつまでも付きまといます。
それまでは映画を見たり本を読んだり、音楽を聴いたりして
手探りでこの「孤独感」についての答えを探していました。今でも完璧な答えはありませんが
理屈じゃなく心の底から腑に落ちたい感覚です。
現状「絶対的な孤独」と名付けています。
ナリタの感覚では
この「絶対的な孤独」は自分で何とかするしかありません。
なぜなら自分の人生は自分のものであり
自分しか自分の人生を生きれません。
自分の本当の感情や気持ちは他人には分からないからです。
それをどれだけ言語化できても自分以外の人に100%伝わることは無いと感じています。
逆も然りです。
他人の言うことに振り回され、自分を押し殺したりするのは
自殺行為に等しいと、思うようになりました。
「だれもあなたのことを完璧には分かってないよ」と。
どれだけ好き合っていても意思疎通がとれていても、です。
逆にそれを理解し合った上で上記のような関係が築けているならそれが超理想だと感じています。
そういう感じでお互いを認め合うんですね。
孤独感と向き合う為に
ここまで語ってなんですが・・
ナリタはカウンセラーでもなんでもなく
宗教家でもなく
ただのいち主婦なので悪しからずw。
ただ、ずっと頭の中から離れない事柄で
ライフワークばりに考え続けています。
そんな中で、ナリタは副業を(別の動機で)決意し、ビジネスを学んでいくうちに
自立心が芽生え、自然とどれだけ身近な人に対しても
一定の距離を置き、その人に敬意を払うようになりました。
それまでに自分が陥っていた最悪の心理状態は主に、孤独感と不安感をうまく処理できない「依存心」から来るものだということにも気が付きました。他には劣等感もありましたが自ら行動し、ビジネスを実践することで克服中
「絶対的な孤独」に潜在的に恐怖し、何かに頼らないと耐えられないような状態。
この依存心から脱出するには・・・と個人的に考えた時に
「何でも良いので価値を世に与える事を意識し、少しでも人の役に立つことに繋がる何かについて本気で学ぶ」
ということを元に行動することで自分の事も大切にでき、他人の気持ちも尊重できるのではないかと感じました。
⇒ナリタにとってはそれがたまたまビジネスの勉強(&実行)でした。動機は「何としてでも自力で稼いでやる!」という感じでしたがw車やパソコン等も質の良い、自分のセンスに合った新しいのをポンと財布を傷めずに買えるようになりたいしw。みたいな感じで、こんなんでもいざ稼ごうと行動し続けることで気が付きました。
全く知らない人の役に立つというバロメーターは自ら雇われずに真摯に行動し、稼ぐお金で実感することができます。
誰も自分にとって嫌なことにお金を払いたいとは思いませんよね。
自分の経験からの話ですが雇われている状態のみの時は到底この境地にたどり着ける気配はありませんでした。
雇われたら、自分の時間は会社の経費となり、そこの経営者が作ったシステムの上の歯車となって働き、給料を頂く。
帰宅したら主婦業をこなす、寝る。ルーチン化すれば流れに身を任せているだけで毎日は淡々と過ぎていきます。あくまでもナリタの場合
当時の環境下では考えるヒントもなく、思考力もなく、そもそもこの「孤独感」に対する言語化もうまく出来ずにどこかモヤモヤしてました。
まとめ
あんまりまとまって無い気がしますが・・w。
副業を始めるにあたって起こした行動が思わぬ悩みの解決に働いたという話でした。
「ビジネスの勉強」と「家族への悩み」⇒パッと見共通項が見えません
とりとめがなくなってしまいましたが
もしあなたが言語化されない身近な人へのモヤモヤがあった時に
少しでも参考になれば嬉しいです。
ナリタの場合は全く違う動機(「お金を自力で稼ぎたい」ですね)でビジネス(最初は副業)のことについて触れ始め
最終的にビジネスに興味を持って学ぶことの副作用で家族との距離感について色々気がつくことがあったので^^
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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